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本当につらかった火曜日、書かずに済ませかけた3行

その日がよくなったわけではない。日記は一日を書き直すためのものでもなかった。ただ、午後6時のメッセージの代わりに、最後に目を向けたものだった。

公開日:2026-08-16 著者:Gratefulチーム

投稿のサンプルです。形式を示すためにGratefulチームが執筆したもので、読者の体験談ではありません。

メッセージが届いたのは午後6時12分。私はそれを4回読んだ。

内容には立ち入らない。仕事の話で、理不尽で、その晩のうちに解決するようなことではなかった。書きたいのは、その後の2時間のことだ。そこは自分でも多少はどうにかできる部分なのに、今年になるまで、そのことに気づいていなかったから。

午後8時には、火曜日のすべてがひとつの色に染まっていた。それまでの11時間は順調だった。気持ちのいい朝、うまくいった通話、外で食べた昼食。けれど、もうそのどれにも心が届かなかった。火曜日はどうだったと聞かれたら、ひどい日だったと答えただろう。本心からそう言いながら、実際には、その日のたった4分ほどのことを語っていたはずだ。

私が書いたこと

危うく、書かずに済ませるところだった。その日にあったよいことを3つ書くなんて、ばかにされているように感じた。話を聞いてもいない人から、悪い中にもいい面を見つけなさいと言われるようで。

結局、こう書いた。

中に入った直後に雨が降り始めた。11時の通話は思ったよりうまくいった。A.が私の様子がおかしいことに気づいて、声をかけてくれた。

どれも慰めにはならなかった。雨が降ったからといって、あのメッセージが帳消しになるわけではない。A.が声をかけてくれても、何かが解決したわけではない。ただ、それらも同じ火曜日に起きた3つのことで、書かなければ消し去られていたはずだった。

気分がよくなった、という話ではない

実際、特によくはならなかった。腹を立てたまま床についた。

変わったのは、1週間後にも記憶の棚に何が残っていたか、ということだった。今あの火曜日を思い返すと、メッセージはそこにある。もちろん、ある。でも、戸口の内側に立って雨が降り始めるのを眺めていたことも、誰かが私の表情に気づいて声をかけてくれたことも、そこにある。放っておけばあのメッセージの独走になっていたレースに、3つの記録が加わったのだ。

これは、感謝日記についてよく語られていることよりも、ずっとささやかな主張だ。でも、私が本当に胸を張って言えるのは、このことだ。嫌な出来事の大きさは変わらない。ただ、それだけがすべてではなくなる。

今、こんな一日を過ごしているなら

3行ではなく、1行書いてみてほしい。小さなことでいい。「なんとか乗り切った」も、立派な日記の一文だ。私も一度ならず書いたことがある。

それから、スマートフォンを別の場所に置こう。最後に目にしたものが、その日を記憶にしまうときの見出しになるから。それは、あのメッセージでなくてもいい。

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よくある質問

嫌なことがあった日にも日記を書くべきですか?

はい。ただし、いつもより短くてかまいません。つらい日に書く目的は、よい一日だったと言い張ることではありません。その日を経ても残ったものがあると記録することです。それなら1行、10秒ほどで書けます。

よいことが何もなかったときは、何を書けばいいですか?

意味のあることよりも、小さくても本当のことを書きましょう。静かに過ごせた10分間、温かい飲み物、気持ちがうまく伝わったメッセージがひとつ。何も思い浮かばなければ、「なんとか乗り切った」も立派な日記の一文です。

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